ベットの上で


心なしか寂しそうに見える。
ラスティに会いたい・・・
8日 前日言われた手術予定時刻は午前中で2番目。 看護師や麻酔科医の話では所要時間2時間位。 朝9時30分になり、早く呼ばれます。と声が掛かる。またか~~! 前回の時も不意打ちに始まった手術。 不意打ちのおかげで、変な緊張感は無く、手術室へ向かえました。 手術室入り口で、姉と時計を見て 10時だからお昼には戻れるね、頑張って!と手をポンポン。

手術室ロビーで、髪を留めるゴムとキャップを渡され、名前とバーコードリーダーを読み込んで、歩いて手術室へ。 サブ医師と談笑しながら、な~んか気楽な感じ。 さすがに、手術台に上がると・・・緊張。 心電図計測器、血圧計、酸素マスクと身体中に装着されていく。 麻酔科医が、点滴の針を持ちながら腕をこすり、「う~~ん、血管細過ぎるなぁ、前も大変でした?」 「はい、いつも点滴泣かせです。」 やっぱり、痛点の手の甲先端部分しか無く´д` ; プスリ。 「は~い、大きく深呼吸3回ね」手の先からの麻酔って痛いし、気分悪いのよ。麻酔に落ちたく無いと抵抗しても意識が途切れる。
「○○さ~~ん、わかりますか?終わりましたよ」 部屋のベットに戻った時、朦朧とした意識の中、夕焼け小焼け♪の街の放送が耳に届きました。 手術時間は6時間。 部屋で待機し、家族との連絡を取ってくれていた姉は、何かあったのかとオロオロ。 仕事先から主人がどうなってる?と連絡は入るし、看護師さんに確認に行ったそうです。 予定では4時間になってますが、先生が丁寧な手術をしてるとのこと。 それでも、3時過ぎても出てこないのでやきもきしたそうです。 無事に終わり、主治医から簡単な説明を受け、姉もホッとしたそうです。 病室にサブ医師2人がやってきて、先生が顕微鏡を使って丁寧に仕上げてました。

骨髄と骨盤の後ろを削り、眼窩底に移植。骨を削った際、出血が多く、止血に時間がかかったそうです。 出血が多かった為、痛みも相当。 酸素の量も通常より多めになり、マスクが外れる時間も8時過ぎに。 マスクが外れれば水分補給OK。でも、体はピクリとも動かせません。長時間同じ体勢と痛みで固まってしまってました。 主治医は、私の次にもう一つ手術があるから部屋には行けませんと姉に話していたのですが、次の手術は2時間ほどで終わり、部屋に様子を見に来てくれてました。私は朦朧。
9日 お昼から刻み食の食事がスタートしましたが、食欲も無く、全く食べられません。 姉が心配してプリンや栄養価の高い物を買ってくれても食べられず、動けず、ベットの上で過ごしました。その朝、どうしてもベットからは這い出たいと車椅子移動を試みたのですが、血圧が37ー76になり、意識が飛んでしまいました。 看護師さんは怒られてしまったし、私はクラクラ。 大学病院での診療の無かった主治医。 私服に医師バックをぶら下げて、様子を見に来てくれてました。
10日 昨日1日微動だに出来なかったおかげで、少し回復してベットの上で起き上がる練習から始めました。 ようやく、車椅子移動まで行きましたが、腰の骨を取るって相当痛い事で無理しないよう言われました。
相当痛いです´д`; 珍しく弱音を吐きそうです。
11日</strong> なんと、この日は私の誕生日。 何歳かは伏せておきますが、誕生日をベットで迎えるなんて~ 主治医からは厄落としと一言。 確かに、数えてみたら今まで13回21カ所メスを入れる経験なんてそうそうない! これで最後にしないと命を取られる事になりそう。 今日も当院では診察の無い主治医。 私服に医師バックといういで立ちで寄ってくれました。姉とレクサスかポルシェ乗ってそうで所帯染みてなくて若いよね~と言いながら「誕生日だよ」 「おめでとう!とうとう○○だね」 「え?先生より年上?」「同じ○○年」 「え~~先生、若い」 「ご主人は上・・?」 「はい、9歳上」笑 親近感わいちゃいました。
主人と姉が、私の大好きな新百合ケ丘のケーキ屋エチエンヌに立ち寄り、ケーキを買い病院へ届けてくれた後、病院の最上階に入っている帝国ホテル系のレストランでランチ。 義妹もお祝いとお見舞いに来てくれて賑やかになりました。



ラスティに会いたい
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